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毎日毎日、動物園にお勤めご苦労様です

 

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

私のアイコン

どうも、こんにちは。私です。

 

日々、みなさまの多くは、

――箱型の馬や、
――ドーナツみたいな足をした馬、
――己の二本脚などで、

動物園に向かっていることと思います。本当にお疲れ様です。

 

一昔前であれば、私も動物園でそれなりの芸を披露して、ご褒美をいただきながら、浮き沈みのない毎日を生きていました。

 

しかし、ある時に「あと数十年も働かないといけないのかぁ……」という事実に気付いてしまってからと言うもの、それまでと同じ心持ちで居続けることができなくなってしまいました。(心療内科の先生が言うには、普通は学生時代に悩み終えているらしいです。マジですか……)

 

別に私が勤めていた動物園は悪いところではなかったんです。いろいろな方のお話しを聞く限り、私がいた動物園なんてホワイトもホワイト。毎日クリーニングに出されているような漂白具合でしたよ。

 

それでも辛くなりました。

 

周りがどうとか、普通がどうとか、知ったこっちゃないんですよ。

 

人生リス生の大半を動物園で過ごさなければならない。そんな生き方に嫌気が差したんです。死んだら何もできなくなるのに、死ぬまでの時間のほとんどを動物園のために過ごす? それが回り回って社会のためになると分かっていても、それが自分のリス生を犠牲にしてまでやらねばならないこととは到底思えませんでした。

 

もし、自分に養わなければいけない対象がいたのであれば、こんなことを考えたりはしなかったでしょう。あるいは、考えたところで意味のない思考であると、早々に見切りを着けたことでしょう。

 

しかし、私の場合はそうではなかったのです。しかも、真面目に芸を披露していたおかげで、しばらくの間は動物園を抜け出しても生きていけるだけの余裕がありました。

 

常識的な動物から見れば、リス如きが動物園の庇護も無くどうやって生きていくと言うのか? そう鼻で笑っているかもしれませんね。事実、私には自分なりの考えはありましたが、所詮は机上の空論でした。

 

動物園から脱走を果たしたリスは、自由を手にした代わりに、安心安全を失いました。

 

それ故に、不安感に苛まれることがしばしばあります。

それ故に、動物園にいた頃には踏み出せなかった一歩を進めてもいます。

 

今の私が動物園に戻れば、以前とは違った生き方ができるのかもしれませんが、可能な限りは戻りたくありません。芸は観客が求めるものであって、私が披露したいものではありませんから。

 

外から動物園を眺める度に、檻の中にいる動物たちを見て優越感に浸ります。そして、彼らがご褒美を受け取っているのを見て、少しだけ肩を落としています。

 

だから、日常の中のふとした瞬間に、こう言いたくなるのです。

 

「毎日毎日、動物園にお勤めご苦労様です」