つくることがしたい。
こう言うと、「ものづくりがしたいの?」とか「工場で働きたいの?」とか言われることがあります。
ちゃうねん。(-д- 三 -д-)
DIYがやりたいわけでも、ライン生産に参加したいわけでもないんです。
ちょっと語らせてください。
前提として「つくる」を言い表す単語はいろいろとあります。
作成、製作、創作、創造、製造……
分かりやすいところで言うと、
私がしたいのは「製造」ではなく、
「創造」か「創作」です。
料理で例えてみます。
クックパッドでレシピを見ながら作る料理は製造です。
一方、クックパッドに投稿する新しいレシピを思案、調理することが創作です。
レシピ本の出版は創造かもしれません。
私はつくることがしたい。
それは創作、あるいは創造がしたいということです。
それは物語でもいいし、絵でもいい。動画でも、仕組みでも、概念でも、サービスでも、哲学でも……社会的道徳からはみ出ない範囲であれば何でもいい。
だからこそ、その生き方は自由と同義であり、暗雲に覆われた旅路であります。
体力が尽きれば死にます。
ただ、自由を引き換えにすれば、生き続けることはできます。
そこで待ち構えているのは、完成された開けた世界。
どこまでも見えて、すべてが創造されきっている世界。
自分はその中の歯車となり、「ただ生き続ける」ことに耐えなければならない。
それを幸せだと思える人や、小さな幸せを見い出し噛み締められる人に、唾を吐きかけるような真似はしません。だって、それはとても幸せなことですから。
しかし残念ながら、私はその中に居続けると錆び付いてしまう。汚れた空気を吸うように呼吸は重くなり、思考ばかりが光を残すような速度で回転し続ける。
生存権を得る代償に、心臓以外の何かが壊れる。
だから私はつくることがしたい。
もしも生きることにさまざまな消費が伴わなければ、旅路を諦めなくて済みます……
永遠の体力を得て、生涯をまっとうするまで旅路を歩み続けたい。
贅沢なことを言っているとは思います。
でも、この世界の空気は私にとって耐え難いものです。つくることで清浄しなければ息も絶え絶えになる。
これは言うなれば、世界と私の戦争です。
勝率はほぼ0%。
一人では勝てません。たくさんの人の手助けが必要です。
私はつくることがしたい。
つくって、勝って、つくり続けたい。
現実では決して捉えることができない、見えならざる生存のための挑戦。
こんなことになるなんて十年前には想像もできませんでした。
死にたくない……生きていたい……
この想いは――生物学上の生死ではありません。
きっと、戦っているのは私だけではないはず。
真に生きたい人々の集い。
そのような場所がこの世界には必要だと思います。
傷の舐め合いでも結構。
昔の人は言いました。
「傷なんて唾つけときゃ治るんだよ」
舐めて癒して戦って……いつか勝利したいものです。