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働くことに抵抗感を抱えないためには早婚の社会にすべきなのでは?という説

 

人は何のために働いているのでしょうか?

社会や国家を継続するため? 働くのが普通だから? やりたい仕事があるから?

 

…はっきりと申しますと、それは何でも構いません。

なぜなら、どのような本音や建前があろうとも、根源には労働への対価として報酬の受け取りがあるからです。

 

労働をする → 金銭報酬を受け取る → 金銭を消費して生活する

 

貨幣経済で成立する社会に生まれた以上、このシステムから逃れることはできません。

労働の先には生活があり、生活のために労働があります。

 

ここまでの話は現代社会を生きていれば履修済みでしょう。

 

それでは…表題である 「働くことに抵抗感を抱えないためには早婚の社会にすべきなのでは?という説」について、順を追って話していきます。

 

 

 

収入の低さ晩婚化

人は労働の対価として収入を得ます。その後、収入から支払いを発生させることで、食料品や生活用品をはじめとしたさまざまなモノ、サービスが受け取れます。

 

労働の成果はこのような流れを経て、人々の生活に反映されていきます。
収入の大きさが生活の豊かさに直結しやすいと言えますね。

 

では、収入が低い場合はどうなるのでしょう?

  • 外食や弁当は高いので自炊する。
  • 新しい洋服が買えないのでヨレた服を着ている。
  • 性能の高い製品が買えないので生活に不便な点がある。
  • 家賃、通信費、税金etc...生きるだけで固定費用が発生する。
  • お店に行くお金がないので友だちと遊びづらい。
  • 学校以上の勉強がしたいけど、塾や参考書に充てるお金がない。

などなど、収入が低ければ、それに応じた節制生活を送るしかありません。

 

若い夫婦が子どもを育てるのが難しいと考えるのも道理であり、昨今の日本が晩婚化しているのも当然の事態だと認識できるでしょう。

 

 

労働意欲生活の充足感

晩婚化社会と高齢化社会はセットで語られることが多いですが、そのような大枠で語り過ぎるがゆえに、晩婚化によるその他の弊害を見落としていると思います。

 

その弊害の1つに働くことへの抵抗感があると考えます。

 

…先に述べましたとおり、労働の成果は生活に還元されます。労働した分だけ幸せになれるのではありません。労働の対価(収入)を生活につぎ込んで(支出)、その結果として幸せや充足感を享受するわけです。

 

つまり……生活への還元が上手くできない人は、
労働の対価を満足に受け取れていないようなもの なのです。

 

例えば年収1000万円のAさんがいたとします。

Aさんには一ヶ月に一日しか休日がありません。毎日働きづめです。
貯金はどんどん増えますが、Aさんからしたら通帳に印字される数字が大きくなるだけです。

では、その休日にAさんは何をするのでしょうか。
  日頃の鬱憤を晴らすために豪遊するでしょうか?
  高級レストランに足を運ぶでしょうか?
――体を休めるために、あるいは体が動かず、無気力に過ごすのではないでしょうか?

 

どれだけ多額の収入を得ていようと、それを生活に還元できなければ、いずれは働くことに意味を見出せなくなります。

裏を返せば、労働意欲と生活の充足感は強く紐づけられていると言えます。

 

では、生活の充足感とは何でしょうか?
どのようなときに感じられるでしょうか?

…これについて考えようとしても範囲があまりにも広すぎます。

そこで、生活の充足感に深い関わりを持ちそうだと思った結婚(家庭を持つ)に焦点を絞ってみたいと思います。

 

 

家族の幸せ自分の幸せ

「結婚は人生の墓場だ」というフレーズを聴くことってありませんか?

(主に男性の口から出るのは性差の表れだと思っています)

 

この言葉を吐く人のタイプは大きく分けて2種類あると思います。

   ① 結婚した結果に後悔や不満を抱いている人

   ② 自分の人生と家庭を同一視している人

 

ここで注目したいのは、生活の充足感と深く関わりを持ちそうだと思った②の方です。順に話を進めますね。

 

家庭……核家族が増えた現代では、自分と伴侶と子供の1グループ。

一人で生きることと比べて、少なくないストレスを抱えることもあるでしょう。さまざまな負担も圧し掛かることでしょう。

 

しかし、悪いことばかりでもありません。

家族がいると、一人よりも充足感を得やすいのです。

 

例えば、子供のために知育玩具や教育費用を支払うこと。

自分にとって価値のないものが、子供に買い与えるという状況だと価値が生まれる。

子供という媒介を挟むことで、労働の対価を正しく受け取れたことになります。

 

これは自分の人生と家庭を同一視しているからこその恩恵です。

「自分が汗水流して稼いだお金を子供のために使いたくない」と思っている人には当て嵌まりません。

家族の充足感は家庭の充足感、家庭の充足感は自分の充足感、という無意識の哲学です。

 

すると、最初に説明した〈労働→報酬→消費して生活〉というシステムのうち、生活の部分の幅が大きく広がります。単純計算になりますが、家族が3人いれば3倍、4人いれば4倍と、生活の充足感を得る場面が増えますから。

 

自分の個としての人生を失う代わりに、家族という集合体としての充足感を得る。
人生の墓場という一面と、人生を個から集団へと拡張する一面。
そう考えると「結婚は人生の墓場だ」というフレーズも深みのあるものに思えます。

 

 

最後のまとめ

さて、最後に一言でまとめますと、

結婚して家庭を持つことは、自分の働く意味を増やしてくれる。

ということになります。

 

そのため、一人一人が働くことに抵抗感を抱えないようにするためには、社会全体の早婚化が必要ではないかと考えます。

 

なお、早婚化社会の弊害や問題点などもありますが、長くなるうえに収拾が付かなくなりそうなので、ここで切らせていただきます。

 

以上です。

 

このように社会について考えることが好きな方がいらっしゃいましたら、今後も同種の記事を書く可能性が大きくなりますので教えていただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。